山口県私学会館の沿革

昭和21年9月 私立山口県中等学校協会(現 山口県私立中学高等学校協会)が発足。
事務局は山口市及び周辺の3校(野田学園、中村女子、山口県鴻城)が順次持ち回りで事務室及び事務員の手当をしていた。
昭和34年1月 その後、事務局常置の独立した建物と会合や研修等に利用できる会館建設の機運が高まり、山口市上宇野令字中村2068番地(現在の大手町県立博物館前)に136坪の土地を 山口銀行から60万円を借り入れ購入した。
会館の建設については、湯田温泉案が浮上したり、資金不足分を県に補助の請願をしたが 実現困難であったりして、建設着工までになお6年の歳月を要した。
昭和40年10月 各校が拠出した分担金1,560万円を山口県私学振興会(現 財団法人山口県
私学教育振興財団)に寄付し、これを資金として竣工し、会館は私学振興会(現 財団法人山口県私学教育振興財団)の財産となった。
昭和41年 県知事より会館建築補助金100万円の交付を受け、鉄筋コンクリート2階建で、事務室のほか応接室2室、会議室大小2室、さらに宿泊室2室と管理人室を備えており、将来3階に継ぎ足す基礎工事がなされた。
会館には、山口県私立高等学校協会のほか財団法人山口県私学退職金財団、財団法人山口県私学振興会の事務局が入り、事務局長以下3名の職員と管理人で運営された。
山口県庁に近いこともあり、会議室は、諸団体の研修会や会議のほか他からの借用の申込が多く、ほとんど空きがないほど利用された。
昭和43年11月 財団法人山口県私立幼稚園協会事務局が移ってきた。
昭和46年 山口県私立大学協会事務局が同居することになったになると、都市計画による山口駅県庁線道路(現在のパークロード)の拡幅改良工事計画が浮上して、会館用地の一部が道路になることになった。県では、山口市中河原町50の5(旧山口大学教育学部プール跡地)を代替地として提示し、会館を移転改築することとなった。用地は約1割広い491.49㎡であり、ほぼ等価で決済できたが建物については新会館では建築に約2,000万円の追加資金を必要とした。
昭和52年5月25日 鉄筋3階建ての現会館は、1階駐車場、2階役員室、事務室、小会議室等、3階は大会議室、屋上機械室で延べ730㎡(建坪面積では約1.6倍)の広さとなり竣工した。
同時に社団法人山口県専修学校各種学校が移ってきた。
昭和26年1月26日 山口県私立中学高等学校PTA連合会の前身である山口県私学PTA連合会が誕生。事務は当初より私中高協会の事務局が担当していた。
平成20年 山口県私立幼稚園PTA連合会が再構築され、事務は財団法人山口県私立幼稚園協会が担当することとなった。
平成22年12月15日 財団法人山口県私学振興会と財団法人山口県私学退職金財団が合併し、新しく財団法人山口県私学教育振興財団が発足した。
平成25年4月1日 公益法人改革に伴い、社団法人山口県専修学校各種学校協会が一般社団法人に移行した。
平成26年4月1日 財団法人山口県私学教育振興財団及び財団法人山口県私立幼稚園協会が公益財団法人に移行した。
  現在会館には7団体の事務局が同居している。